2016年02月18日
カテリーナとオムレツ
イタリア戦争の真っ只中、かのカトリーヌ・ド・メディシス(1519~1589)は
生まれて間もなく孤児となった。
その後、ローマ教皇クレメンス7世とフランス王フランソワ1世の間で縁組交渉が
まとまり、フランスの第2王子オルレアン公(後のアンリ2世)と14歳で結婚。
カテリーナの嫁入りの際、従者の中には数人の菓子職人、一人のアイスクリーム職人、
それに三人の女性の料理人が含まれていたのは有名な話だ。
当時のフランスはただの田舎者の国。
イタリアはヨーロッパ一の先進国にして、ルネッサンス文化の産みの親で
メディチ家は、そりゃホンマもんのセレブ。
手掴みで食事をしていたフランス宮廷に、「あらまあ野蛮!」と、
フォークとテーブルマナーを持ち込んで躾たカテリーナ。
男ばっかりが座っちゃう宴席では
「騎士道の国なのにレディファーストが無い!」と、婦人用の
椅子を用意させたのもマナー改革の一環。
トスカーナ地方で Pesce d'uova(卵の魚)と呼ばれていた素朴な卵焼きは
オムレツと呼ばれ、フランスばかりでなく今や世界中で食されるている。
さて、液体サンプルを飲んだくれて、地中海近辺(勝手に特定)を徘徊し
ピレネー越えか?アルプス越えか?されている高等遊民さんに所望するものは、
フランチャコルタ・ミレッジマートもヨカだけど
トスカーナのブルネッロ・ディ・モンタルチーノとか、
ピエモンテのバローロDOCGとか、あ、そういえば准教授ったら
ペルシャ絨毯、トリュフ、フォアグラ、キャビア~って酔っ払った勢いで
ご所望されてたっけ。
店主はフォアグラで思い出したけれどマグレ・ド・カナールなんかも
「乙」である。
で、
ルネサンス手軽に楽しむならば「ボルジア家 愛と欲望の教皇一族」だな。
あ、そうそう正室カトリーヌよりも・・・、
妾、ディアーヌの方が美人だよね・・・。
生まれて間もなく孤児となった。
その後、ローマ教皇クレメンス7世とフランス王フランソワ1世の間で縁組交渉が
まとまり、フランスの第2王子オルレアン公(後のアンリ2世)と14歳で結婚。
カテリーナの嫁入りの際、従者の中には数人の菓子職人、一人のアイスクリーム職人、
それに三人の女性の料理人が含まれていたのは有名な話だ。
当時のフランスはただの田舎者の国。
イタリアはヨーロッパ一の先進国にして、ルネッサンス文化の産みの親で
メディチ家は、そりゃホンマもんのセレブ。
手掴みで食事をしていたフランス宮廷に、「あらまあ野蛮!」と、
フォークとテーブルマナーを持ち込んで躾たカテリーナ。
男ばっかりが座っちゃう宴席では
「騎士道の国なのにレディファーストが無い!」と、婦人用の
椅子を用意させたのもマナー改革の一環。
トスカーナ地方で Pesce d'uova(卵の魚)と呼ばれていた素朴な卵焼きは
オムレツと呼ばれ、フランスばかりでなく今や世界中で食されるている。
さて、液体サンプルを飲んだくれて、地中海近辺(勝手に特定)を徘徊し
ピレネー越えか?アルプス越えか?されている高等遊民さんに所望するものは、
フランチャコルタ・ミレッジマートもヨカだけど
トスカーナのブルネッロ・ディ・モンタルチーノとか、
ピエモンテのバローロDOCGとか、あ、そういえば准教授ったら
ペルシャ絨毯、トリュフ、フォアグラ、キャビア~って酔っ払った勢いで
ご所望されてたっけ。
店主はフォアグラで思い出したけれどマグレ・ド・カナールなんかも
「乙」である。
で、
ルネサンス手軽に楽しむならば「ボルジア家 愛と欲望の教皇一族」だな。
あ、そうそう正室カトリーヌよりも・・・、
妾、ディアーヌの方が美人だよね・・・。
Posted by Le Rentier at 04:20│Comments(0)
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