2012年11月24日
King of Scots
19世紀中期、ウィスキーがまだ樽から量り売りされていた頃、グラスゴーの
とある酒屋で評判のウィスキーがあった。
当時のグラスゴーは大英帝国第2の都市、裕福な商人達の間でたちまち
評判になったそのウィスキーは、いつしか
「King of Scots キング・オブ・スコッツ」
と呼ばれるようになった。
1886年にブランド登録された「キング・オブ・スコッツ」は、1901年頃には
スコットランドだけではなく遠くロンドンでも上流階級の間で有名になっていた。

そのブランドの権利を買い取り、第二次大戦後に発展・拡大させたのが
「ダグラス・レイン社」である。
同社の創業は1950年、但し創業者フレッド・ダグラス・レインの父が出身地の
ハイランドを離れ、グラスゴーに進出したのは1901年のことで、ハイランドで
培ったブレンド技術をグラスゴーで発展させたのである。

【バノックバーンの戦いを前にして自軍兵士を整列させるロバート1世】
ちなみに「キング・オブ・スコッツ」はスコッチの王様であると同時に
「スコットランド王」のことでもある。
同社の商標に使われているスコットランド王の図柄はブルース1世、
「ロバート・ザ・ブルース王」のもので、もともとダグラス・レイン家は
ブルース1世を補佐したダグラス卿につながる家系らしい。
「キング・オブ・スコッツ」というブランドは、同家にとってひときわ
愛着のある銘柄だったのだろう。

とある酒屋で評判のウィスキーがあった。
当時のグラスゴーは大英帝国第2の都市、裕福な商人達の間でたちまち
評判になったそのウィスキーは、いつしか
「King of Scots キング・オブ・スコッツ」
と呼ばれるようになった。
1886年にブランド登録された「キング・オブ・スコッツ」は、1901年頃には
スコットランドだけではなく遠くロンドンでも上流階級の間で有名になっていた。

そのブランドの権利を買い取り、第二次大戦後に発展・拡大させたのが
「ダグラス・レイン社」である。
同社の創業は1950年、但し創業者フレッド・ダグラス・レインの父が出身地の
ハイランドを離れ、グラスゴーに進出したのは1901年のことで、ハイランドで
培ったブレンド技術をグラスゴーで発展させたのである。

【バノックバーンの戦いを前にして自軍兵士を整列させるロバート1世】
ちなみに「キング・オブ・スコッツ」はスコッチの王様であると同時に
「スコットランド王」のことでもある。
同社の商標に使われているスコットランド王の図柄はブルース1世、
「ロバート・ザ・ブルース王」のもので、もともとダグラス・レイン家は
ブルース1世を補佐したダグラス卿につながる家系らしい。
「キング・オブ・スコッツ」というブランドは、同家にとってひときわ
愛着のある銘柄だったのだろう。

38種のモルトとグレーンをブレンドしているというが、今世紀初頭の
ブレンド比率とは異なっている。
かつてのものはキャンベルタウン・モルトとアイラ・モルトが中心だったが、
キャンベルタウンの蒸溜所はほとんどが廃業に追い込まれ、現在はスプリングバンクと
グレンスコシアの2つしか残っていない。
そのためスペイサイドとハイランドのモルト中心に替えたようだ。
スコットランドの人たちが好んで言う「スコッツ」とはスコッチのこと。
あえて昔風の表現をしているのは、それほどに民族の誇れる財産という意が
込められているのだろう。
ブレンド比率とは異なっている。
かつてのものはキャンベルタウン・モルトとアイラ・モルトが中心だったが、
キャンベルタウンの蒸溜所はほとんどが廃業に追い込まれ、現在はスプリングバンクと
グレンスコシアの2つしか残っていない。
そのためスペイサイドとハイランドのモルト中心に替えたようだ。
スコットランドの人たちが好んで言う「スコッツ」とはスコッチのこと。
あえて昔風の表現をしているのは、それほどに民族の誇れる財産という意が
込められているのだろう。
タグ :King of Scots
Posted by Le Rentier at 02:42│Comments(0)
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